© タオバオ 輸入 代行業者HAMブログ All rights reserved.
中国 品質問題
ソニー・パナソニック・シャープの赤字が凄まじいですね。
中国には多くの生産工場があるのですが、操業停止の工場が増えています。
反日の影響もあるでしょう。
生産工場で業務をしてきた私としては、日本は品質に異常すぎるかな。
コストに関しても。
低コストで高品質。
これって物凄く矛盾していません?
それが、MADE IN JAPANと言ってしまえば終わりですが。
私が中国色に染まりすぎなのでしょうか。
品質を良くすれば、歩留まりが向上し単価が安くなる。
品質が良くなれば、良品率が上がり納期が早くなる。
でも・・・。
実際は、高品質を求めれば求めるほど、余計な手間がかかり、
コストがUPし、当然納期も遅くなる。
最先端の技術とノウハウを駆使し、努力するのが当然であるが、大きな問題があるのです。
実際に製品を生産している労働者。
市場の要求に素早く答えつつ、高品質を求められが、低賃金。
少し、生産者の事を考えてみてください。
中国製品は品質が悪い。
と決め付けるのでなく、何故品質が悪いのか。
中国の技術は日本の技術に追いつき、追い抜こうとしています。
世界中の製品を作りつつ、自国の製品も生産しているのです。
良いものは作れます。
品質が悪いには訳がある。
低コストをあまりにも求めるために、
生産工場は少しでもコストダウンをしようと、勝手に安い材料を使用したりします。
工程を可能な限り減らします。
人件費を削れば良い人材は100%育ちません。
中国の労働者は田舎から、両親と離れ出稼ぎにきます。
1部屋の寮で5人から10人で共同生活し、食事は毎日工場。
勿論テレビも洗濯機もパソコンもありません。
まるで監獄です。
故郷に帰れるのは年に1回か2回。
でも労働者にとっては、故郷の方が厳しい生活だったのです。
少しでも良い生活ができるよう、給料が良い工場に移ったり、また戻ったり。
適度な残業がある工場で残業代を稼ぎ、美味しい社食を食べる。
考える事は、仕事に対してでなく、生活に対してなのです。
私は何の製品を作っているのか?
QCDって何なのか?
そんな事ではなく。
月にいくら稼げるのか?
結婚するまでに何年働いて貯金すればいいのか?
車や家は買えるのか?
子供を育てるにはいくら必要なのか?
こんな状況で低価格、高品質、短納期を要求するのは
あまりにも厳しいのではないか。
毎日、タオバオから安い商品が届くと不良が必ずある。
日本なら絶対有り得ない不良。
不良の多さに嫌気がさし、中国の品質に対してムシャクシャしていた。
でも、購入価格を見て、製品が作られる工程を考え、材料費から人件費、工場運営費など
落ち着いて考えると、良い製品が作れる訳ない価格の商品が多いです。
技術云々の問題でなく、メーカーと労働者とのギャップがあまりにもかけ離れている気がした。
————中国語講座Vol.1-129————
これと同じ商品で黒色の製品はありますか?
跟这个一样的黑色有吗?
—————————————————————
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
社長のジレンマ
よくわかります
私もベトナムで 水産加工の技術指導を駐在でやっていました
通訳なしで
日本の本社からは 品質と低コストを要求され
現場では一部の幹部を除き
仕事の目的は 賃金
職人気質 なんて言葉は そこには存在しませんでした
私がそこで行った 品質向上の策
1、
出荷前の検品担当の ローテーション化
最終的に全員が クオリティーに目が向くようになりました
2、
検品後の商品の品質に応じて 格付け&ボーナス設定
最高ランクが取れたときは従事者全員へディナーご招待(家族同伴OK
これは週一の出荷後の日本でのジャッジで確定させました
ボーナスは私自身の持ち出しですが これを行いましたらば
現場が楽しんでいるかのように 目を輝かせて作業しました
持ち出しって言っても 報酬は日本での口座へ振り込まれる出向手当ての一部で賄えます。
実際私も一緒になって楽しく作業し、楽しく飲み食いして
次回もがんばろうぜ! 見たいな感じで 結構盛り上がったりしていました
一例ですが
国民性を考えて よい方法をこちらから提案するというのも
目的を果たす手段の一つかと思います。
今はもう製造業に携わっていないですが。
ふと、生産者の立場となって考えてみました。
視点を変えて物事を考えるのは、たまには良いですね^^
琉華様のお話もためになりました!!
デフレスパイラルの弊害そのものですね。
コスト競争力を上げるために日本から海外に出て行って
出て行った先はブルーオーシャンと思いきや、そこでもコスト競争。
コストコストコストで本当に嫌になります。
コストコに聞こえますよ。
コストコ嫌いって笑
って冗談はさておき、どこいってもコスト競争からは
逃れられないですね!!
PedroMais uma bela hiso,riaoagtra e tudo diferente,o Campelo e secretario de estado,no outro tempo era ao contrario o secretario de estado ia para a camara,de PL claro.O Antonio EQ que me perdoe mas o 444 era B 14 e depois B 16,o B18 era o 544.O carrinho onde esta a tua avo parece me um Isotta Fraschini de 1918.GR ABAFA